小説版市ヶ谷有咲について 多分 Part. 1
始めに
ブログ開設して最初の記事がこころちゃんじゃないってどうなの?と思った方も居るでしょうけどね、当研究会としても一枚岩ではないということですね、はい。
ちなみにこの記事はアドベントカレンダーってやつのの一環として執筆してますよ。
まだ埋まってない日が沢山あるので、いなごの兄貴を助けると思って気軽に参加してくれ~!
ここに書いてあることは全部私見なので、そういう見方もあるのか、程度に読んでください。本文だけ常体なのも見逃してください、直すのがめんどくさかったんです…。あと、初めてのブログ執筆なので見にくかったらごめんなさいm(_ _)m(言い訳が多い)
ま、それはさておきボチボチ本題に入っていきましょう。つってもメインテーマが完成しなかったので未完成記事なんですけど…(-_-;)
※以下、聖書のネタバレを含みます
キャラクターとしての必然性
小説版市ヶ谷有咲というキャラクターを語る上で、いや、Poppin' Partyのキャラクターを語る上で、小説版とアニメ版の違いというのは大きい。市ヶ谷有咲の例で言うと、わかりやすく言えばツンデレ属性の有無。小説版の有咲は自身の芯をもっていて、引っ込み思案の香澄とはある意味対をなすキャラクターとして作られている。このキャラクターはある程度計算されて作られたのではないかと思う。ので、そこについて少し言及したい。
アニメ版で話を動かす役割が全て香澄にあるのに対して、小説版はそうではない。例えるなら、小説版は馬車といったところか。有咲が御者、香澄が馬で他の皆は乗客だ。香澄が話を動かすには違いないが、方向性は有咲が決めている。
このことを念頭に置いたうえで大まかに重要な場面を見ていくとしよう。小説版はメンバーを集めてバンドをすることが話の大筋だ。なのでメンバーを勧誘する場面やその前後を見ていこう。
――かすみん、明日もここにおいでよ。
昨夜、香澄が夢を撃ち抜いたあと、急にまじめな顔になった有咲が言った。
――あたしがギター教えてあげるから。
まず、香澄にギターを始めさせたのは有咲だ。
「だから、あのニンジャをパーティーに引きこむ!かすみん、あの、りみりんとやらをバンドに誘ってみて!」
りみをメンバーにするように言ったのも有咲だ。
戸惑うたえに、香澄はその言葉を放った。有咲に言え、と言われたとおりに。
「ねえ、たえちゃん!最高が欲しいんでしょ?」
ジャーンとギターを鳴らす。
「一緒に音楽を奏でようよ!」
たえを捕獲する作戦や口説き文句を考えたのも有咲だ。
「かすみんが今日、言ったんだよね。あの子をもう一度バンドに誘う、って、かすみんは言ってたよね」
「……うん」
「じゃあ、どうして誘わなかったの?それだけじゃない。あの子が『無理なんだ』って言ったとき、どうして理由を訊こうともしないの?」
(中略)
「その歌ができるまで、あんたは蔵に出入り禁止だから」
「――え?」
弾かれたように香澄が顔をあげた。
「その歌ができなかったら、その歌がとりつくろったような歌だったら、うちらのバンドは無期限活動休止だから」
沙綾をバンドメンバーにしようというところで、折れかけた香澄の背中を押したのも有咲なのだ。
そしてこれら全て、行動したのは香澄自身なのだ。
香澄は自律したキャラクターではないが話の軸は彼女にある。彼女は強靭な足を持っていながら駆け出そうとしない、いや、駆け出す目的も方向も無かったのだ。このままではいつまで経っても物語としては成立しない。となると馬を動かす御者、乗り手が新たに必要となる。そこで、最初に出会う有咲が話を進める御者になることは必然だろう。そしてもちろん、進むべき道を示す彼女は、芯の通った、自身の意見なりやりたい事なりをきちんと持っているキャラクターでなければならない。御者が道がわかりませんでは二つの意味でお話にならないだろう。つまり有咲はなるべくしてあのキャラクターになったのだ。
私はこのようにして、物語の上で逆算的に必要不可欠に市ヶ谷有咲がつくられたと考えた。計算された伏線に胸躍るように、計算されたキャラクターの無駄のなさが好きだ。つまりは有咲のキャラクターには必然性があり、そんな必然性が気持ちよくしっくりきて、私はどうしようもなく有咲に惹かれてしまったということだ。
終わりに
まぁ何が言いたかったかというと最高なので聖書読もうよ!ってことに尽きますよね。
本当はメインの考察(?)として香澄との関係性について書く予定だったんですけど、というか書いてはいるんですけど、時間が無くてまとめられそうにないので、有咲のキャラについてのお話でお茶を濁して終了とさせていただきます…。考察というより、「ここが好き」っていうのを説明しただけになってしまいましたが。書きあがったらまた適当なタイミングで改めて載せますのでその時はまたよろしく…(締め切りがない状態で書きあがるかは不明)
では、私の気が向いたらまた会いましょう、さよなら。